2009年2月27日金曜日

ヒシアマゾン 3歳新馬戦

後に芝のクラッシックディスタンスでも活躍する名馬となる
ヒシアマゾンのデビュー戦は、ダートの1200m戦だった。

逃げ粘るノボリリュウを鼻差捉えての勝利は、類い稀な
勝負根性をうかがわせるものであった。


2009年2月8日日曜日

トウカイテイオー 有馬記念 1993年

前年の有馬記念から1年ぶりの出走となったトウカイテイオー。

時代は移り、菊花賞を制したビワハヤヒデが現役最強の称号を
勝ち得ようとしていた。その鞍上はテイオーのかつての
パートナーであった岡部幸雄。

しかし、トウカイテイオーは直線前を行くビワハヤヒデに
襲い掛かり、半馬身ビワハヤヒデを交わしてゴールした。

鞍上の田原は、その復活に、端正な顔を涙で歪ませ、
類い稀なる優駿の名誉を讃えた。


トウカイテイオー ジャパンカップ 1992年

天皇賞秋で惨敗したトウカイテイオーは、世界の強豪が
集まったこのレースでは、単勝5番人気でしかなかった。

しかし、道中好位に付け、直線は力強い脚色を見せる。
内のナチュラリズムとの叩き合いを制し、見事に
勝利をもぎ取った。

滅多に感情を露わにしない鞍上岡部も、ゴール後には
珍しくガッツポーズをして、復活したテイオーの
走りを讃えた。


トウカイテイオー 産経大阪杯 1992年

骨折で三冠の夢を断たれたトウカイテイオーの
10か月振りの実戦は、天皇賞春のトライアル戦でも
ある産経大阪杯だった。

久々で20K増の馬体重にも関わらず、8頭立ての小頭数
でもあり、単勝オッズは1.3倍の圧倒的人気。

鞍上は名手岡部幸雄に代わっていた。

ここでもテイオーは全く危なげない勝利を収める。
鞭を一発も入れることなく完勝した姿に、
レース後、名手岡部をして「地の果てまで駆けて
行きそうな乗り心地」と復活したテイオーに最大級の
賛辞が送られた。



トウカイテイオー ダービー 1991年

単勝オッズ1.6倍の圧倒的人気で迎えた二冠目。

トウカイテイオーは、道中前方に付け4コーナーでは
大外を廻り、前に行く馬を射程圏に捉える。

直線、鞭を入れられると弾けるように先頭に立ち、
後続を全く寄せ付けず正に完勝、横綱相撲であった。

これで父ルドルフと同じく無敗で二冠を達成する。

しかし、その偉業の代賞は骨折という形でテイオーに
降りかかり、不運の名馬の予兆を感じさせるもので
あった。


トウカイテイオー 皐月賞 1991年

皇帝シンボリルドルフの初年度産駒にして最高傑作の
トウカイテイオー。

父ルドルフの歩んだ王道を、同じく辿る為の一冠目の皐月賞。

道中は前方に位置し、直線前に行く馬を交わし、後続の
追撃を抑えきった。

その安定したレース振りは、父を彷彿とさせるものであった。


ナリタブライアン 阪神大賞典 1996年

史上最強馬とも謳われたナリタブライアンであったが、
1995年春に故障(股関節炎)した後、その後遺症から
競走成績は低迷していた。

前年の菊花賞と有馬記念を制し勢いに乗る
マヤノトップガン相手に復活を賭ける。

3着以下は遥か後方で、直線は完全に2頭のマッチレース。

両雄が激突し、ゴール寸前で僅かにブランアンの頭が
出たところがゴールであった。

後に『平成の大一番』と呼ばれる好レースである。


2009年2月7日土曜日

ナリタブライアン 有馬記念 1994年

同世代では最早敵なしの三冠馬ナリタブライアンの
次の目標は古馬との初対戦となる有馬記念だった。

同時代のもう一頭の最強馬であり、実兄である
ビワハヤヒデが引退した今、ここでも敵は
いなかった。

現役最強馬の称号のみならず、史上最強馬の称号をも
囁かれるほど強さを見せた一戦である。


ナリタブライアン 菊花賞 1994年

トライアル戦では油断したナリタブライアンだったが、
三冠最後のここでも1.7倍の圧倒的一番人気で迎えられた。

道中はいつものように中段前方につけ、直線満を持して
南井が追い出すと、後は他馬を離す一方だった。

2着馬ヤシマソブリンに付けた差は7馬身。
正に圧巻の三冠達成の瞬間であった。


ナリタブライアン 京都新聞杯 1994年

三冠を目指すナリタブライアンの単勝オッズは
なんと1.0倍の元返し。

圧勝続きのナリタブライアンに久々は死角とは
考えられていなかった。

しかし、競馬に絶対はない。
内から藤田の乗るスターマンがナリタブライアンを
差し切る。その瞬間競馬場全体が凍りついた。


ナリタブライアン ダービー 1994年

ナリタブライアンの勝利は最早既定路線。

ここでも勝ち負けと言うより、如何勝つかに
焦点は絞られていた。

4角では大外にまわし距離損など何のその。
他馬とは次元の違う走りはここでも実現された。


ナリタブライアン 皐月賞 1994年

トライアル2戦を圧勝したナリタブライアンは、
ここでも単勝1.6倍の圧倒的人気で迎えられた。

速い流れを中段前に付け、4角では既に射程圏内に入る。
直線の脚は圧巻。2位以下を大きく引き離し他馬との
能力の違いをまざまざと見せつけた。


2009年2月6日金曜日

ナリタブライアン 朝日杯3歳ステークス 1993年

前走の京都3歳ステークスを快勝したナリタブライアンは、
ここでも1番人気に推された。

道中はやや後方に控えた当馬だが、エンジンがかかってからは
ものが他馬とは全く違っていた。

翌年のクラッシック最有力候補に名乗りを上げることになった
一戦である。


ミホノブルボン 菊花賞 1992年

このレース逃げたのは、松永幹夫のキョウエイボーガン。
小島は控えた二番手でブルボンをなだめながら、エスコートする。

最後の直線、万を持して抜け出したブルボンに内から
マチカネタンホイザ、外からライスシャワーが迫る。

内は抑えたブルボンだったが、ステイヤー資質で勝るライスシャワー
には勝てず、生涯唯一の敗戦を記す。


ミホノブルボン 東京優駿(ダービー) 1992年

一番人気で迎えた二冠目。ブルボンはいつものように先頭に立つ。
距離不安が囁かれていたが、その脚色は府中の長い直線でも衰えを見せず、
二着に四馬身つける快勝だった。

二着は鼻差でライスシャワー。後にブルボンに唯一土をつけ、稀代の
名ステイヤーと称された彼も、現時点では一介の穴馬に過ぎなかった。


ミホノブルボン 朝日杯3歳ステークス 1991年

主戦の小島貞弘は、未だブルボンの持ち味を測りかねていた。
初戦は追い込み、2戦目は逃げ。何れも勝つには勝ったが
もっとスムーズな競馬をブルボンに強いた。

結果は、追い込むヤマニンミラクルを鼻差だけ退けての
薄氷の勝利。しかし、その差は全く異なる未来を両馬に
与えるものであった。


ミホノブルボン 3歳500万下 1991年

新馬戦の1000mはまさかの出遅れ。しかし豪快な追い込み脚で差し切って見せた 。
そのレースは、自身唯一の後方からの競馬だった。

2戦目の500万下 では、以降のスタイルとなる逃げでの圧勝。

その逃走劇には美しさと気品さえ漂っている。


ナリタブライアン 新馬戦 1993年

当時の新馬戦は開催月なら二度の出走が可能であり、
ブライアンもこれが二走目であった。

とはいえ、2着に9馬身差をつけ圧勝したナリタブライアン。
ここから彼の最強馬伝説は始まった。